M-1感想つづき
えーと、まず最初に、M-1ってのはいったい何なのか、という話から入りたいと思うんですが。
その年に一番面白い若手漫才師を決めるガチの賞レースだ、という側面が強調されることが多いように思うんですが、多分、今のM-1というのは、ただそれだけのものではすでにない。
そもそもM-1が生まれたときのコンセプトはそこにあったんだと思うんですけど、でも今のM-1にはもっといろんな顔がある。
もちろん、今の漫才界で一番重みのある賞レースだというのも、若手漫才師にとってまさに登竜門だというのもその通りなんですけど、「1年でおそらく一番視聴率の高いお笑いネタ番組だ」というのもM-1の側面のひとつだろうし、そこまでお笑いに興味がない人にとっては単純にお笑い番組でもあるだろうし、オートバックスにとっては1年で一番オートバックスのCMが流れる(しかもものすごい注目度が高い中で)番組だということにもなるだろうし。
そして、おそらくは2003年前後あたりから、漫才界における新しいトレンドの流れが生まれる場所、という側面も持ち合わせるようになってるんだろうと思う。
で、そこも意識して考えると、今、M-1の舞台では、どんなにクオリティが高くても、いつものナイツ、いつもの笑い飯のネタをやっても勝てないんですよ。すでに一般に浸透しているスタイルの漫才の場合、そこに何かプラスをして、「こんなナイツ見たことない」「こんな笑い飯みたことない」って思わせないと勝てない。
ナイツの「ヤホー漫才」とか笑い飯の「Wボケ」とかは、ブランドとして持っているに越したことはないんですけど、それをただやっても「いつもの○○」で終わってしまうんで、M-1の舞台の上だと埋没してしまうんですね。
といって、変わったことをやりすぎると、今度は客が求めている笑いと離れてしまって、笑いが起きなくなってしまう。
変化球は投げる、投げるんだけど、その変化球が、いつも以上に面白いんだ、と客に納得させないといけない。
客を納得させて、会場の空気を「自分たちの空気」にしてしまう、というのが、漫才師としての説得力というものだと思います。
その点、今年の笑い飯の鳥人ネタは素晴らしかった。
何回か見直してるんですが、最初に哲夫が鳥人の説明をしてるときに、もう客席が完全に「笑う態勢」になってるんですよ。
あれ、説明役が哲夫だからいいんだろうなあ。哲夫の方が声が高いせいか、なんかアホっぽく聞こえるんですよね。それであの鳥人の説明をする、ということ自体に、客席の空気を変えるだけの説得力があった。
あの設定は、笑い飯の持っている狂気的な部分というふうにも言えるでしょうし、笑い飯独自の世界というふうに抽象的にも言えるでしょう。
そういうふうに言うなら、芸能というものが本来根元的に持っていたハレの部分ということで白拍子とかアメノウズメまでさかのぼって云々、ということになってくるんでしょうけど、要は、大事なのはあのさして長くない説明部分だけで、客席を巻き込んで、自分たちの漫才の共犯者に仕立て上げてしまったということじゃないかと思います。
もうその後は、ひとつひとつのボケがどれをとっても面白いんですよねー。
ファイナルの「野球→ラグビー」は、スタートが割と普通なもんだからとっつきやすいんですが、しかしことさらに客席が味方についてくれるということもなくって、「いつもの笑い飯」で終わってしまったという気がします。
でも、あの鳥人ネタだけでも、今年の笑い飯を見る価値はあったなあと思わずにはいられません。
その年に一番面白い若手漫才師を決めるガチの賞レースだ、という側面が強調されることが多いように思うんですが、多分、今のM-1というのは、ただそれだけのものではすでにない。
そもそもM-1が生まれたときのコンセプトはそこにあったんだと思うんですけど、でも今のM-1にはもっといろんな顔がある。
もちろん、今の漫才界で一番重みのある賞レースだというのも、若手漫才師にとってまさに登竜門だというのもその通りなんですけど、「1年でおそらく一番視聴率の高いお笑いネタ番組だ」というのもM-1の側面のひとつだろうし、そこまでお笑いに興味がない人にとっては単純にお笑い番組でもあるだろうし、オートバックスにとっては1年で一番オートバックスのCMが流れる(しかもものすごい注目度が高い中で)番組だということにもなるだろうし。
そして、おそらくは2003年前後あたりから、漫才界における新しいトレンドの流れが生まれる場所、という側面も持ち合わせるようになってるんだろうと思う。
で、そこも意識して考えると、今、M-1の舞台では、どんなにクオリティが高くても、いつものナイツ、いつもの笑い飯のネタをやっても勝てないんですよ。すでに一般に浸透しているスタイルの漫才の場合、そこに何かプラスをして、「こんなナイツ見たことない」「こんな笑い飯みたことない」って思わせないと勝てない。
ナイツの「ヤホー漫才」とか笑い飯の「Wボケ」とかは、ブランドとして持っているに越したことはないんですけど、それをただやっても「いつもの○○」で終わってしまうんで、M-1の舞台の上だと埋没してしまうんですね。
といって、変わったことをやりすぎると、今度は客が求めている笑いと離れてしまって、笑いが起きなくなってしまう。
変化球は投げる、投げるんだけど、その変化球が、いつも以上に面白いんだ、と客に納得させないといけない。
客を納得させて、会場の空気を「自分たちの空気」にしてしまう、というのが、漫才師としての説得力というものだと思います。
その点、今年の笑い飯の鳥人ネタは素晴らしかった。
何回か見直してるんですが、最初に哲夫が鳥人の説明をしてるときに、もう客席が完全に「笑う態勢」になってるんですよ。
あれ、説明役が哲夫だからいいんだろうなあ。哲夫の方が声が高いせいか、なんかアホっぽく聞こえるんですよね。それであの鳥人の説明をする、ということ自体に、客席の空気を変えるだけの説得力があった。
あの設定は、笑い飯の持っている狂気的な部分というふうにも言えるでしょうし、笑い飯独自の世界というふうに抽象的にも言えるでしょう。
そういうふうに言うなら、芸能というものが本来根元的に持っていたハレの部分ということで白拍子とかアメノウズメまでさかのぼって云々、ということになってくるんでしょうけど、要は、大事なのはあのさして長くない説明部分だけで、客席を巻き込んで、自分たちの漫才の共犯者に仕立て上げてしまったということじゃないかと思います。
もうその後は、ひとつひとつのボケがどれをとっても面白いんですよねー。
ファイナルの「野球→ラグビー」は、スタートが割と普通なもんだからとっつきやすいんですが、しかしことさらに客席が味方についてくれるということもなくって、「いつもの笑い飯」で終わってしまったという気がします。
でも、あの鳥人ネタだけでも、今年の笑い飯を見る価値はあったなあと思わずにはいられません。
コメント
No title
No title
いつものネタでは勝てない・・・・そこには手軽な所謂お笑いブームの影響があると思いますね。
いつぞや広島の方が似たようなこと書いていた気がしますが、テンポ良く画面の動きがあってじっくりでなくても気楽に楽しめるお笑いと言うよりもバラエティに近いものが人気になってしまった。
それが「いつも」だからM-1でやってしまうとそこはバラエティと言い難いので勝てない、そんな図式があるように思います。
だからグランプリ始まった当初は見たことあるまんまだとしても行ける気がしてましたから。
M-1以外のお笑いの見せ方が改善されるべきかなと思います。
哲夫の喋りは得ですよね。あのアホっぽさは見事です。(笑)
で仰る通り説明の部分で良い意味での「イヤな予感」してました。
見てるときは考えませんでしたが、あの設定をあれだけで浸透させてるってのはアホそうに見えてかなりの技ですね。感服。
しかし実は哲夫の一番面白かったのは開戦前のムーンウォークしながら「$10の浜本さん」だったりもします。(笑)
いつぞや広島の方が似たようなこと書いていた気がしますが、テンポ良く画面の動きがあってじっくりでなくても気楽に楽しめるお笑いと言うよりもバラエティに近いものが人気になってしまった。
それが「いつも」だからM-1でやってしまうとそこはバラエティと言い難いので勝てない、そんな図式があるように思います。
だからグランプリ始まった当初は見たことあるまんまだとしても行ける気がしてましたから。
M-1以外のお笑いの見せ方が改善されるべきかなと思います。
哲夫の喋りは得ですよね。あのアホっぽさは見事です。(笑)
で仰る通り説明の部分で良い意味での「イヤな予感」してました。
見てるときは考えませんでしたが、あの設定をあれだけで浸透させてるってのはアホそうに見えてかなりの技ですね。感服。
しかし実は哲夫の一番面白かったのは開戦前のムーンウォークしながら「$10の浜本さん」だったりもします。(笑)
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まあ、テレビで放送する以上、より視聴率がとれる見せ方に流れるのは、ある意味でしょうがない部分でもあるんですけどねー。
ただ、ネタ番組とかよりも、「歌がうまい芸人ナンバー1決定戦」とかの方が視聴率が高い、という話を聞くと、いささか暗澹たる気持ちになります。
一般の視聴者なんてそんなもん、ではあるのですが。
鳥人ネタは、あの最初の部分での間の取り方ですねー。
西田の「…お前、そんなん子供に見せて大丈夫か!?」の間。
単純に、「鳥の頭が人間の体についている」って説明だけなら、『GuGuガンモ』みたいなのを想像してしまう可能性もあるのに、そうさせない、というのはよく練られた間だと思います。